— 若松 富士男さん —
*episode 今からもう50年近く前、22歳の頃のことです。 私は京都の「高瀬川」という料亭で板場の見習いとして働いていました。 板場には、当時の私には、到底追いつけそうにないすごい兄弟子が3人ほどいました。 彼らが若造の私に、味の秘密を教えてくれることはありません。弟弟子は兄弟子たちを 見て学び、技を盗むしかないのです。 とはいえ、兄弟子たちとて皆、自分のポジションを守るのに必死なのです。 お寿司も料理も、彼らと同じことをやっていたのでは、永遠に追いつけそうもない。 永遠に皿洗いするのはごめんだ。なんとか自分だけのものを作りださねば…。 そんなある日、私は、おにぎりだけで生計をたてているクラブママOBのばあちゃん (かなりの高齢)と知り合いました。 ばあちゃんの店は、自宅の軒先だけの小さな店で、メニューは1個15円の焼きおにぎりと 塩にぎりだけ。けれどすべてがとてもいい塩梅で、たまらないほろほろ感。 私は板場に通いながら、約半年の間、無償で店を手伝い、ばあちゃんの秘伝を教わりました。 努力の甲斐あって、ばあちゃん直伝のこのおにぎりは、その後、 高瀬川の定食メニューに採用されました。 ばあちゃんのおにぎりは、表面はしっかり硬くて、お米も横を向いているのに、 中のお米は一粒一粒が独立して立っているので、口に入れるとほろほろと崩れます。 むすび終わったら直ぐには立てずにしばらく横に寝かしておきます。 それが、このおにぎりです。 |